齊藤依の自分以外他人理論

言の葉を置く場所

幸せ、愛、平和、生きる意味、夢

お久しぶりです。ブログ書こうかなって思って書いてませんでした。
これを読んでいるそこのあなたはいかがお過ごしですか?

私は私としての初めての恋人ができ、そして別れ、移ろいゆく季節も感じれぬまま、今年も5月半ばまできてしまいましたが「死にたい」気持ちから解放されたと同時に「憎しみ」や「怒り」からも解放され更には「自分も社会も全員不幸になってしまえ。」という呪いからも解放され穏やかな精神で生きています。
私は他人に求められる自分でいることでしか存在意義を感じられない生き物でしたが、自分の感覚で選んだ道を進むということを初めてから幸せです。
私の中でずっと飼っていた「お金という結果を産み出せない。生産性のない人間はゴミだ。」という価値観からも解放されてからずっとずっと生きやすくなりました。
世界は何も変わってないし私自身の芯の部分は変わってないけれど、夕陽に照らされる水溜りが輝いて見える位置に移動する。そんな感覚で世界を見れるようになれました。
それでも一年中体調が優れないのは相変わらずですし抱いてきた劣等感があまりにも深く唐突な不安や焦燥感に襲われてネガティブになる時間も多々あります。
体調が優れないのも、私が感じてる不安や焦燥感もきっと他人が想像を絶するものだと思います。
逆にお金が前よりない生活でも楽しく幸せに過ごしてることも他人が想像しているより良いものです。
元々自分から仕掛けるような争い事は好まないし、例えば目の前で転んだ人を助けて気恥ずかしそうに感謝を伝えて足早に去っていく、そんな光景を見れるだけで幸せを感じられる。そんなの自分を否定し続けてきたけれど愛と平和を持ってして曇りなき慈愛の心で人に接する私こそが私自身なんだなと感じる今日この頃です。
最近の私は「水」のようです。黒く淀んだ感情もなく透き通った気持ちで世界を見ています。考えようとして考えたり行動しようとして行動したり言おうと思って言うのではなく、山から水が湧き出て川になり海に流れていくように、自然体で生きています。

画面の向こう側にいるあなたは生きる意味って何だと思いますか?
私は「幸せ」のためだと断言します。自分自身のため、家族のため、恋人のため、友人のため、会社のため、対象が何であろうと絶対にそうです。
私は学生時代にアルバイトを始めた動機は「遊ぶお金がほしい。」「あの服がほしい。」など自分自身がポジティブな体験をするためでした。
その手段が人生という限られた時間を売ってお金に変換することでした。
それがいつのまにか他人に求められる自分でいることだけが存在意義だったために求められることをやり自分で自分に課し「なんでそんなことができないんだ。」と叱責されても「自分が悪いんだ。このままじゃ捨てられる。」と自分で自分を叱咤激励して鼓舞しては死に物狂いで生きるようになっていました。
勘の良い人ならお気づきでしょう。ポジティブな体験をするための行為がいつしか目的になっていたのです。
あまりにもそういった人が世の中には溢れすぎている。家族のため、恋人のため、友人のため、会社のため、それぞれの幸せのために頑張ることは何も悪いことじゃありません。
ただ、自分自身の人生は自分が主人公なんだからもっと自分の心の声に耳を傾けてもいいんじゃないかって思うんです。
もっと自分勝手にもっと独り善がりにもっと自分自身のために生きていいんじゃないでしょうか。
自分の存在意義は自分で決めるべきだと思います。なりたい自分に真っ直ぐでいいんです。
他人は口も挟むし期待もしてくる責めてくる、でも案外自分のことなんて気にしてないんです。
自分自身のために生きろと強要はしません。家族のため、恋人のため、友人のため、会社のため、それぞれの幸せのために生きることが自分自身の幸せのためであることもあると思います。

夢のことも書き記しておこうかなと思います。
私は物心がついた頃から言葉が好きでした。書かれている文字、聞こえてくる声、その人がどんな気持ちでどんな顔をしてどんな映像を頭の中で流しながら言葉を羅列しているんだろう。そんな知的好奇心に今でも満ち溢れています。
音楽が私の中では大きな影響を及ぼしたものの一つで、歌詞を読み解くことでも、音として捉えてぼんやり聴くことでも、その人の世界を覗き見できるような感覚になるんです。
自分の世界とその人の世界を重ね合わせて喜怒哀楽の感情が揺さぶられたり勇気づけられたり、素晴らしいなって思います。
だから私は世界中のたった一人でもいい。私の世界を覗き見して心揺さぶられてほしい。私が見て聞いて嗅いで肌で感じてきた世界を昇華させたい。そんな思いで音楽をしています。
「音楽で食べていきたいの?」と聞かれ即座に否定したときに思いました。私の目的はそこなんだと。
もちろん評価されてお金になれば嬉しいことに変わりはないんだろうけど、そこが目的じゃないんだなと。
でも世に出ているアーティスト、私が素敵だなと思っているのに評価されないアーティストを見ていると、私がいくら頑張ってもそこには到達できないなと、部屋の中で一人思うんです。音楽が私にとって最適解な表現方法じゃないのかなって感じていたりだとかします。
私はギターしか弾けないのですが母親の影響でキーボードを持っておりまして、気分転換に弾いていたんです。弾けるわけじゃないのに、なんとなく。
タバコでも吸うかとYoutubeを開いたときに「ラ・カンパネラ」を52歳のピアノとは無縁で楽譜も読めない漁師の男性がテレビで見かけたフジコ・ヘミングさんに憧れて7年間独学で練習し続けた結果弾けるようになってご本人の前で演奏するという動画が出てきました。
呪いから解放された私でもまだ涙はすっと流れ落ちないしヤラセか?なんて一瞬脳裏に過るような人間なんだとほんの少し悲しい気持ちにもなりましたが、そんなものは吹き飛ぶほど感動し、まだまだやろうって気力と勇気をもらえました。
世代で言うと今年で25歳になる人間ですが、社会からドロップアウトして社会での物差しでは完全に負け組です。
でももしかしたら、もしかしたら、私も何かの形で、私の世界や伝えたい思いを人々に遺せる日がくるんじゃないかって、希望が持てました。
それが私の夢です。

長々とお付き合いありがとうございました。それでは。

昨今の世の中を見て感じていること

こんばんは、今日も眠れていません。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
わたしは社会から見て生産的かと言われれば甚だ疑問ですが、自分自身は良い時間だったなと思う時間を過ごしたり、人付き合いのことで悩んでいたりと、思い思いの時間を過ごしています。

タイトルにもあります通り「昨今の世の中を見て感じていること」が上手く言葉にできそうなので書き記そうと思います。

わたしは歳を食った人間が
「嫌な世の中になった」
なんて吐き捨てることは老害だと思っていました。
だけど24歳になった今、自分自身もそう感じているのです。
わたしが中高生だった頃、少なくともわたしの周りはヤンチャなことをすることがかっこよかったし、厨二病という言葉ができたばかりで、Youtubeが定着する前にそれより盛り上がっていたニコニコ動画では厨ニ心を擽るような楽曲や配信で溢れていました。
今の中高生を24歳の視点から見ていると冷めているなという印象を受けるのです。
未成年飲酒や喫煙、バイクや車の違法改造に暴走。その他ヤンチャな行為や遊び。
もちろん法律で禁止されていることなのですることもそれをネットにアップロードすることも褒められたものではありません。
ただあまりにも簡単にそれをネットに晒し、鍵垢同士で陰口を共有。
更にはそのスクショを撮って本人へ、なんなら知名度がない有名人でなくても炎上しています。
そんな違法行為じゃないにしろ、コロナのこともあり老若男女が人間が作り出したルールやモラルに違反する行為に敏感すぎる気がするのです。
なんだろう、息苦しい。そう感じてしまっています。

そんな時にうんこちゃんこと加藤純一という10年以上ニコ生からYoutubeに移行して活動している大手配信者の10年前の切り抜きと最新の切り抜きを見ました。
数本動画を見たのですが、彼は10年以上一貫して同じトーンで不謹慎なことも理不尽なキレ芸も99%ネタで話しています。
それが通じていない視聴者が増えてきていると感じている話をされている切り抜きを見たときに、わたしが感じていることはこれだと、そして重ねて言っていたYoutuberもネタを言わないと、なるほど、そういうことかと思いました。
動画や配信をする側も視聴する側も綺麗でいようとしすきなんです。
プライベートではない誰でも見れるSNSのアカウントで誰もネタを言わない。言いたいことも言わない。
そういう風潮が出来上がってしまっているのではないかと思いました。
Youtuberと芸能人の垣根もわからなくなってきていますし、みんな偶像を求めすぎなんです。
だからその偶像のキャラらしからぬ人間臭さが出てしまった瞬間炎上する。視聴者同士で揉めだす。
自分自身も綺麗でありたいから捨て垢で誹謗中傷をする。

adoさんの「うっせぇわ」という楽曲が流行っていますよね。
adoさんの豊富な発声や巧みな歌唱技術で今の中高生が社会に対して「うっせぇわ」と思ってることを見事に代弁していますし、1984年リリースのチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」という当時の若者が社会に対して思うことを代弁していた楽器と歌詞がシンクロしていたりと良い楽曲なんです。
ただ本物の厨二病の子たちがコメントを残した。すると一斉にそれを模倣するようなネタがネットの海は溢れかえりました。
わたしが中高生だった当時も似たような現象はありました。しかしながら本物のコメントに対して圧倒的にネタの数が多すぎる。
これを見ている皆さんはどうかわかりませんが、厨二病のような勘違いした痛い思考に至るのは少なからず誰しもが通ると思うんです。
それを小馬鹿にする人が多過ぎるし、そのネタを見て不快に思って本気になって怒る人も多すぎるんです。
それで炎上みたいな騒ぎになったら楽曲置いてけぼりじゃないですか。素晴らしい楽曲なのに。
わたしは厨二病のコメント云々というよりはadoさんの圧倒的な歌唱を模倣した歌ってみたに対して共感性周知を多少感じてしまいますが、わたし自身口ずさんでいて気持ち良い曲だし仕方ないかって思います。adoさんの歌い方かっこいいですし。
でもどちらにせよ、仕方ないかって思える人が少なすぎると感じるんです。

1998年に反町隆史さんが「POISON
〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜」という楽曲でタイトル通りのことを歌ってらしたんですが、10年前は荒れ果てていたネットの海も人間が作ったルールやモラルで整備され、まさに言いたいことも言えないこんな世の中になってしまったんだなと。

LGBTという言葉が広まったり、ファッションの多種多様性が認められていって素敵だなと思う反面、息苦しい世の中でもあるなと感じているお話でした。

それでは。

たなか(故・ぼくのりりっくのぼうよみ)という人

齊藤依です。

「たなかさんのカバー連日投稿されてることに気づいてから鬼リピしてるしコメントまで残してしまったけど本当に天才以外の言葉では言い表せない」
という馬鹿っぽいツイートをしてしまいました。140文字ではこの人物について語れないからです。
Youtubeのコメント欄には
「ありのままの自分を表現して認められる場所があるんだと羽ばたいたけれど、その先で求められた自分と本当の自分のギャップで息苦しくなって死んでしまった。最後に違う自分を求めてきた人や築き上げてきた違う自分を卑下するように火に油を注ぎその時彼が思っていたことを圧倒的な歌唱力とリリックで吐き出して死んでしまった。自分はそんな彼の暗い歌詞に自分を重ね励まされて生きて今がある。
だから貴方が好きな曲を好きなように歌っている姿が見れて幸せです。ありがとう。」
とコメントを残してしまった。気恥ずかしさすら感じられる文章だが、何故そう書くに至ったか、たなかとぼくのりりっくのぼうよみを並べて書くことは無粋だとわかっていながらも、書く手が止まらない思いを遺そうと思う。

接吻
https://youtu.be/qWCyIe9r0L4
情熱
https://youtu.be/ucCKOXoLfBs
いとしのエリー
https://youtu.be/eJhtpd3logM
と連日カバー動画を投稿しているたなかという人物。
彼は故・ぼくのりりっくのぼうよみとは別人である。

故・ぼくのりりっくのぼうよみは2015年12月に1stアルバム『hollow world』でメジャーデビューを果たした。
ニコラップ出身ということや彼の書くリリックの知的さからラップだけどHIP HOPではないジャンルだった。
デビューアルバムに収録されている『Black Bird』という楽曲がとても好きで私はよく聴いていたし、誠に勝手ながらカバーをTwitterに投稿させていただいている。
この楽曲は
「生まれた時に押された烙印 何億もの二重螺旋が紡いだ
 なんせ羽が黒いだけでこんなに 暮らしにくい世の中で
 簡単に割るデッドライン」
というリリックから始まる。
私は自分に重ねて解釈していたので
「生まれた時に押された烙印」=障害という診断
「何億の二重螺旋が紡いだ」=DNA、遺伝子配列
という風に捉えている。
楽曲の物語は周りとは違うカラスが変わらない世の中に希望を捨てきれずに絶望していくという内容で進んでいく。しかし最後には
「たかが色の違いで何を馬鹿な」
「変われるの?こんな僕でも ろくでもない世界に告げる終わり」
といった歌詞が続き
Black Bird Black Bird 良かったな お前には翼がある
 黒い空が晴れ渡る この天気なら飛べるんじゃないの
 もう誰も気にしなくていいだろう
 この広い空は お前の お前だけのものだ」
という歌詞で締めくくられる。
ぼくのりりっくのぼうよみ一周忌のドキュメンタリー "追憶"
https://youtu.be/oKTmNQlWyU0
内にて
ぼくのりりっくのぼうよみを名乗り始めた頃は自分の中にある感情とか複雑なものをデフォルメしてメロディとかトラックの雰囲気に合わせて一つの芸術に昇華していくみたいなことかま自分の中で楽しかった。」
と語っており、そのありのままの自分を表現をしている音楽が評価されメジャーデビューに繋がったことが、諦めて絶望していた世の中に希望が見えたのではないかと感じる。
その後2017年1月に2ndアルバム「Noah's Ark」をリリース。同年の3月から初の全国ツアーを敢行。5月には2ndシングル「SKY's the limit/つきとさなぎ」を発売。2ndアルバム「Noah's ark」に収録されている「Be Noble」は映画「3月のライオン」の主題歌としてタイアップ。2ndシングル「SKY's the limit」は資生堂「アネッサ」のCMソングとして起用された。
上記ドキュメンタリーの中で
「一通りやったなという中で2枚目を出しますとか次の作品を作っていこうって当たり前のことなんですけど、やりたいこと…あるっちゃあるけど頑張って探すみたいな。(仕事としてやらなければいけないと)どうしてもそうなっちゃって。そこからちょっとずつ崩れだしたなという感じはあって…でもとにかく憂鬱でしたね。」
と語っているようにぼくのりりっくのぼうよみの名前が広まるほど、ファンや業界人に求められるぼくのりりっくのぼうよみ像と自分の中に不変的にあるぼくのりりっくのぼうよみ像のズレがあったのだろうと感じた。
2018年9月「NEWS ZERO」に出演。テレビという媒体を使って大々的に2019年1月をもって3年間の音楽活動に辞職することを発表した。
当時のインタビューで「ありたくない自分であるぐらいだったらそれをやめたほうがいい。それを一つ示したい。」と発言していたことからもありのままのぼくのりりっくのぼうよみでいられなくなったのだろうと思う。
先程と同じドキュメンタリー映像の中で「3rdアルバムのツアーのライブのリハーサル中に目を開けて歌えなくなってしまって…」と語っており彼の苦しみや重圧は計り知れない。
引退発表の際の「天才をやめる」等の発言やTwitterでファンを煽り馬鹿にするようなツイートを繰り返したため炎上したが、その行動原理として同上のドキュメンタリー映像の中の言葉を私なりにぎゅっと縮めると「ぼくのりりっくのぼうよみ像をかき消してまっさらな状態の自分を見てほしかった。」というものがあったことを語っている。
しつこいほどにこの動画から彼の言葉を書き出し引用させていただいたが、この部分の表現は本人の言葉を書き出すのもおこがましいほどに、彼の感性が出ている部分なのでぜひ映像をご覧いただきたいのでもう一度リンクを貼っておく。
ぼくのりりっくのぼうよみ一周忌ドキュメンタリー "追憶"
https://youtu.be/oKTmNQlWyU0
そして来たる2019年1月29日に葬式が開かれ、同月31日に正式に辞職した。
4thアルバム「没落」に収録されている「人間辞職」という楽曲はまさにその時のぼくのりりっくのぼうよみを表現していたし、私はその楽曲に自分を重ねて共感し、彼に同情までした。
「頭を過る言葉の中には あからさまに人を辞すべきもの」
「生きてはいたい 生きてはいたい
 人間でなくても 人間でなくても」
「誠に誠に申し訳ありませんと
 この慚愧の念に堪えがたく※1 思っております
 私は私は責任とって 人間辞職
 人間を辞すことで 責任を取らせていただきます」
「この社会も思えば学校も どうにも馴染めずに」
「時間通りに言われたことをこなすのさえ
 至難の業 痛いよなんか 太陽なんか
 沈んで二度と帰ってくんな」
「人間 人間 人間なんてオワコンなんだよ
 この社会に辞職届を叩きつけます
 私は私は責任とって 人間辞職
 人間を辞すことで 命を全うしていきたいと思います」
「私の生命は私のもの 私の生命は私のもの
 人間なんかのものじゃない」
※慚愧(慙愧)の念に堪えない
ざんきのねんにたえない
意味:自分を恥ずかしく思う気持ちが非常に強いさま
Weblio類語辞書より
ほぼ全ての歌詞を引用してしまったが知的で天才的な言葉を選びリリックに仕上げてきた彼が至極単純な言葉を繰り返しかつ圧倒的な歌唱力で歌い叫ぶ姿は今見ても鳥肌が立つ。それに一度は世の中に希望を見出した「Black Bird」がこれを歌っていると思うと感情移入せざるを得ない。ぜひこちらも合わせてご覧になっていただきたい。
ぼくのりりっくのぼうよみ「人間辞職(Live)」
https://youtu.be/zsVtx7hEMYM

私は言葉が大好きです。彼が書く言葉はとても美しかった。私の中にある言語化できない複雑な感情を言葉にして、歌詞にして、圧倒的な歌唱力と共に芸術へと昇華させていた。どれだけ暗い曲であろうとも私にとっては応援歌だった。彼が私の言葉にならない声を歌ってくれていたから今の私がいる。今これを書きながら脳内ではクラシックが流れ、コンサートも終盤で私は息荒げに指揮を振っている。彼が最後のライブのインタビューで「最終巻のよう、ページを捲る手が止まらない。」といった疾走感や多幸感はこういったものなのだろうか。私は私を形成してきた人物について、大好きな言葉で書き記すことができた。ありがとう、ぼくのりりっくのぼうよみ。たなかという人の歌声と歌い終えたあとの笑顔が見れて私は今も幸せです。ありがとう。

興奮気味にこの記事を書いた私がどういう人間かは過去の記事を参照していただくとわかると思います。
齊藤依、という人間https://saitouyori.hatenablog.com/entry/2021/01/26/233515
自分以外他人理論とはhttps://saitouyori.hatenablog.com/entry/2021/01/28/024606

よろしければTwitterYoutubeも見てください。
Twitter(@s___aitou)
https://twitter.com/s___aitou?s=09
Youtube「齊藤依の自分以外他人理論」
https://youtube.com/channel/UCcDecOwOqyN36ibrgUyFAtQ

ジェンダーについて

おはようございます。眠れぬ夜を過ごしました。

以前の記事で書くと言っていた自分のジェンダーについてのことを書き記そうと思います。

わたしが自分の性について自認したのは実は去年のお話です。
それまでは男の子として生きてきていました。
自分の性を自認したきっかけは、香椎かてぃさんという方に憧れて、スタイルブックを買ったり元々好きだったメイク動画を参考に自分で自分にメイクを施したところ、自己肯定感がマイナスな自分が自分のことを可愛いと思えた瞬間でした。

小さい頃は、前に書いた記事にもあるように、仮面ライダーよりプリキュア派で、お母さんにペディキュアをしてもらってルンルンしてるような子でした。
お洋服とか髪型もこだわり始めるのが早くてインターネットが普及し始めた小学高学年ときには、流行をチェックして自分が思う「可愛い」服を選んでいました。
今女の子がしているメンズライクのようなオーバーサイズの服が好きで、それに萌え袖なんかして可愛くしようとしていたのを覚えています。お母さんのメイク道具で遊んだこともありました。
女の子の友達とお母さんとママ友と遊ぶことが多かったので当時流行りだしたプリクラを撮る時も写真に写る時も流行りの可愛いポーズをしてプリ帳も作ってました。

それでも何故周りも自分も気づかなかったのかはわかりません。
思い当たるとすれば、まずそういった人がいるという知識が世の中に今ほど知れ渡っていなかったことか、車が好きでそちらの趣味がカモフラージュになっていたのか、男はこうあるべきで女はこうあるべきの教えに逆らわなかったことか、そんなところでしょうか。

中学、高校と成長していくにつれて、恋愛も経験しました。
わたしは女友達と遊ぶことも多くて自分は着れないから女友達の服を選んだりして着せ替え人形をするのが好きでした。
自分で中性的な格好にチャレンジした時は「隣を歩きたくない」「メスにでもなったん?」と周りの同級生に言われてすぐやめましたが、肌の露出するの平気なふりして実は脚を見せるのが特に嫌でした。
女の子と遊んでいると周りの人たちは「最近よく会ってるけど好きなの?」「付き合ってるの?」「セックスした?」とよく聞いてきました。
わたしは男と女だからそう見える気持ちはわかるけど、違うのにな、ともやもやしていました。
自分が女の子になりたいトランスジェンダーという立ち位置だと仮決定して説明してある人に最近それを言われてショックでした。男の子扱いなんだなぁって思いました。
そしてその頃、わたしは誰にも言ってなかったけれど、男性と女性として恋愛や性行為をしてみたいと思っていました。
Twitter廃人全盛期だったのでTwitter上で女性として振る舞うことでその気持ちを満たしておりました。完全に黒歴史
父親が仕事はできるけど女性関係はだらしない人だったことや周りにいる男性が年齢関係なく女性を物のように扱う人が多かったからか、男性に対して怖いとか気持ち悪いという感情を抱いてしまうので、男性との恋愛も性行為もしたことないんですけどね。
理由をつけて勇気が出ないだけなんだろうなと思いつつも勇気が出ないままです。

唐突ですが、わたしは女の子が好きです。
自分の性を自認してから1年経って恋愛的な意味で好きになった人も女性でしたが、それとは別の意味で。
初めて憧れた芸能人も女性でしたし、アイドルオタクになったのも、ネットにいる可愛い女の子が好きなのも、全て憧れです。
女の子ってとってもキラキラして見えるんです。
最近見た「女子的生活」というドラマにこんなセリフがありました。

「彼女にとってはきっと、珍しい遊び。でも、私にとっては宝物。キラキラ輝くジュエリーみたいな。たとえそれが、フェイクなジュエリーでも」

志尊淳さん演じる主人公みきは身体の性別が男性で性転換などはしていないけれど、女性の気持ちで女性になりたくて女性の格好をして女性として社会で生きている人です。でも、心は、レズビアン
そんな人がワンナイトを過ごしたあとのセリフなんですが、まさしく今のわたしに近いものがあるなと感じました。

以前トランスジェンダーの方に一度「女好きなの?変態じゃん。お前なんかトランスジェンダーじゃない。」と言われたことがあります。
わたしは男の子の頃から相手に喜んでほしくて愛したくて性行為をします。
今は自分の身体の男性を感じるのが苦しくてなかなかしていないですが、求められたら応えたいんです。
もしそれがワンナイトだとしても、必要とされたい承認欲求とか、寂しさとか、そういうものを、相手のも、自分のも、埋め合わせたいんです。
そもそも自分の性的欲求が好きじゃないのでそんなもののためにするわけじゃないんです。
わたしのことをわかった上で、本当にわかっていない上辺の理解だとしても、わたしがその相手になれるだけで貴重で、キラキラした一日になるのです。
だから別にセックスの流れにならなかったら必要ないと思います。抱きしめあうだけでも、キスをするだけでも。お互いが満足したらそれでいいと思うんです。
でもわたしの周りの男性はそうじゃなくて、自分の都合で女性を呼び出してヤッて自分が出したら終わり。
それが本当に理解できません。風俗も会社での流れや友達に連れられて行ったことがありますが何が楽しいのやらわかりませんでした。

わたしは女の子に恋をするとジレンマが起こることがわかりました。
わたしは女の子として女友達がほしかった。でも女の子に恋愛感情を抱くと、相手はどう感じるのだろうと、わたしのことを女友達だと思って安心して遊んでくれてるなら嬉しいことなのに、わたしがそれを壊すようなことになるんじゃないか、と悩んでしまいます。
そもそも相手はわたしのことをどう扱えばいいのかわからないってこともあったので。
わたしはドキドキやワクワクを与えられないのかなとか、何をどうして好きを表現したらいいのかも、悩んでしまいます。

だから気を遣ってしまうことが多々あります。
例えば女の子同士が「久しぶり〜!」なんて抱き合う光景。
わたしはあの光景が学生の頃から羨ましかったんです。
自分も混ざりたいな、自分が女の子だったらな、って思って増します。
男の身体だからと思って自重してしまうんですよね。
不愉快な思いとか嫌な思いとか怖い思いをさせるのが嫌なので。

ジェンダーのお話と悩みと言えばこんなところでしょうか。
ヒントをもらいにジェンダー外来なるものに一度受診してみようかと考えています。

もしよろしければ、これを見ているあなたのアドバイスやあなたの悩みも聞かせてください。お待ちしております。

24歳になりました

2021年2月8日、齊藤依、24歳を迎えましたことをご報告致します。

小さい頃から思春期にかけてなんとなくイメージしていた24歳の自分は、大企業に勤めたのち父親の会社の後継者として入社している頃で、そろそろ結婚を、と考えている恋人がいる頃。
現実の24歳というのは、自分も周りもまだまだ未熟で、子供で、青春真っ只中です。
子供の頃にイメージしていた大人は思っていたより子供で、親世代の人やそれより更に上の人は、思っていたより大人じゃないことを学びました。
23歳で新しい自分、新しい取り組み、新しい居場所、新しい出会い。色んな新しいがあって、自分が変化しました。
まるで赤子のような自分がいて、時にそれは楽しくもあり、苦しくもあります。
青い春、と書いて青春。20代は青二才なんだから30歳までが青春なんだ。
そんな言葉を言われたことがあります。最近なんだかそんな気がしてきました。
ちょっとしたことで笑って泣いて、そうしてるうちに時がまた進んでいくんでしょう。
部屋の奥の古いアルバムに戻りたくなる夜もある。自分だけが取り残されたような気持ちにもなる。
だからわたしは時間は無情に過ぎるものだと思っていました。
だけどちょっと違う気がしていて、時間が過ぎていくことをどう捉えるか、で気の持ちようが全然変わってくるんです。
アルバムが色褪せて綺麗な思い出になるように、人の記憶も時間が過ぎていくことで美化されて味が出るというか。
そうやって楽しいことも苦しいことも面と向き合って付き合っていけば、全ての時間は無駄じゃなかったと死ぬ時に思えるはずだって、なんとなくそう思います。

言いたいことがまとまらないんですけど、とりあえずわたしは前向きに今を生きています。

わたしに愛という感情を教えてくれたあなたも、居場所を与えてくれたあなたたちも、わたしに変わるきっかけをくれたあなたも、わたしと少ししか関わりがないなってあなたも、自分含めみんなが幸せに死にゆける世界が訪れますように。

それを創り出すのは自分だから、ね。

太陽の光が暖かく感じられた日

こんにちは、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

セクシャルについて書き記す前にもっと書き記しておかなければと思うことがありました。

わたしはこの記事以前の2つを読んでもらえればわかる通り卑屈で醜い人間です。
「太陽なんか 沈んで二度と帰ってくんな」
※人間辞職 / ぼくのりりっくのぼうよ より
と自分の思いを乗せて歌い叫んでいました。
それほどに太陽の光は尖っていて痛いと感じるほどのものでした。ほんの1時間前までは。
根本的に何かが簡単に変わるわけではないとわかっています。
しかしながらわたしはいつぶりかわからないほど久しぶりに、太陽の光を優しく暖かいものだと感じることができました。

わたしは自分自身を、苦しみを、誰かに受け止めてもらいたいと思いつつ、自分自身を、苦しみを、誰かがわかってたまるものかと思っていました。
自分以外他人理論とは、言い換えると自分以外の全てを敵とみなす理論です。
自分と近しいものを感じる人に自分がしてほしいことをして、自分が害とみなしたものは徹底的に叩く。
まさにわたし自身も書いていたように「目に目を、歯には歯を」でした。

そんなわたしはその方には失礼極まりないですがとても近しいものを感じている人間がいて、その人と会う機会があったんです。
他愛もない会話、楽しむ時間を過ごしたのちに、いつのまにかわたしはわたしが人に見せたくない。冷たいわたしの悩みを話していました。
その人はそれを否定も肯定もせず聞いてくれました。わからないことはわからないとも言いました。そしてその人から見たわたしの印象や、100%理解し合えるわけがない前提で、わたしとその人の経験を照らし合わせてお話をしてくれました。
わたしから見てその人は、とても苦しくて、わたしなんかに善意を向けている場合じゃないはずなのに、です。
わたしはとても疑問に思ってその質問を投げかけました。返ってきた答えに、わたしはハッとしました。
「わたしも頑張れるようになったからあなたにも頑張れるようになってほしい。誰かといることで誰かのために頑張るのだと思っていたけど、頑張っているからこそ誰かといることで頑張れる。そうじゃないと自分も一緒にいてくれる人も楽しくないと思うようになった。」
真っ直ぐな目で至極当たり前のことをその人に言われたときにずっと暗くて見通しの悪い視界が明るくなりました。
わたしはずっと
「頑張れなんて言うなよ クソが 死にものぐるいで生きてんだ」
※風のささやき / あいみょん より
と周りに喚き散らして生きていました。
苦しいんだ。自分だってどうしていいかわからない。救えるのか?救えないならもう放っておいてくれ。わたしは変われないんだ。
と自分勝手な自分さえも正当化して生きていたのです。
その人はその気持ちに近しいものを持っていたのに、しっかり前を向いていました。まだまだダメだと言っていたけれど、わたしに上記のような言葉を言えることがすごいと思いました。
根本的にはその人だって変われていないかもしれない。また立ち止まってうずくまって喚き散らすかもしれない。
でも前を向いて立ち向かおうとする姿がはっきりと見えた気がして、わたしは諦めて立ち止まって自分が作り出した糸に絡まってもがいているんだと、実感しました。
わたしも前を向いて、もう一度歩き出そう、そう思えました。
思っただけかもしれません。書き記しただけになるかもしれません。
でもこんなに透き通った感情も、太陽の光が暖かく優しく包まれる感覚も、胸や肩、足取りまでもが軽く感じたのは本当に久しぶりでした。

セクシャルに関して悩みを抱えていることも同時に書きたいところですが、ポジティブな話はポジティブなまま終わらせたいと思います。

本人にも伝えましたが、改めて、ありがとう。

自分以外他人理論とは

眠れぬ、孤独な夜に、こんばんは。

今日はわたしの卑屈で醜い考え方について書記そうと思います。

わたしは血縁関係にある家族、恋人、10年来の友人、どんな人間であれ他人だといつからか、そう考えています。
あなたのため、お前のために言ってるんだ。
そんな言葉を吐き捨てる人間こそ、信用に値しないと思っています。
以前は自分以外の人間に他人というラインを無意識に引いている状態で他人のアドバイスをありがたいものだと受け止めていました。
しかし他人の悩みを聞いてアドバイスをする立場になった時、自分のしてきた体験と置き換え、追体験をして考えていることに気づいたのです。
つまり血縁者であろうが、10年以上そばで見てきた友人であろうが、その人のことを100%理解するなんて不可能であり、自分のことを他人に100%理解してもらうことも不可能なのだと、気づきました。
だからわたしのことを理解した気になってあなたのため、お前のため、なんてその人にとっての正しいを振りかざしてくる人間は信用に値しない。むしろ敵です。
その人と価値観や考え方が似通っているのならば、話は少し変わってきますが、わたしの価値観や考え方と似通った人間ならばそういう言い方はしないでしょう。
そしてそんなアドバイスを投げかけてくる人間というものは恩着せがましいという経験則があります。
社会に出て仕事をしていた頃。上司がそういう人間でした。
周りの友人にあとから話を聞くと「お前は洗脳されてた。」と言われました。
わたしは倒れるまで働かせられることになるのですが、そうなった今でもその人たちにはお世話になったと思っています。
敵だとか信用に値しないだとかそんな言葉を並べましたが、悪い人だと言いたいわけではないのです。
そういう人たちは味方につけると自分自身のことを守ってくれます。会社やその組織がファミリーだという共通意識を持っているのです。
裏を返せばファミリーの輪を乱す行為やファミリーから離れる際に、少々厄介なことが起きます。
あなたのため、お前のため、に力を尽くしてきてくれた大人たちは恩を売っているので「あの時の恩は忘れたのか、この薄情者め。」となるわけです。
だからお金の発生する仕事上は、わたしは一歩引いた関係がベストだと思っています。親密になってはいけない。そう思います。

家族に関しては語るまでもない、と言うよりわたしの中で答えがまだ見つかっていません。
母親や祖母と楽しく会話する時間は大好きです。しかしながら同時に家族はわたしにとって諸悪の根源であり、自分の中で全て清算し終えたあとなのにも関わらず、恨みや憎しみの感情は消えません。
わたしは気分屋、なんて言葉では収まりきらないほど気分の浮き沈み、熱くなったり冷めたりが数分単位で酷く入れ替わります。
家族と楽しく会話をするのが好きな反面、声を聞くだけで不愉快な感情になり自室に閉じこもることもあります。
例えば母親が風邪を引いた。わたしは心配性なので「大丈夫?熱は?病院連れてこうか?」なんて声をかけます。
しかしそう本気で思って口で言ってる自分と「苦しめ。いっそのこと死んでしまえ。」と実の母親に対して思う自分が同時に存在するのです。
苦しくてたまりません。思いたくて思ってるわけでも、なりたくてこうなったわけでもないのに。
この両極端な自分にどう対処していくかはまだ、答えが出ていないのが現状です。

では、友人や恋人はどうでしょう。わたしは2020年にこんな自分の考え方や在り方を許容してくれる人たちと出会いました。
しかし心の距離が近づくにつれ、その人を見る目のピントが合わなくなるのです。
どう接したらいいのか、これまでどう接していたのか見失います。
親しき中にも礼儀あり、という言葉はとても理に適った言葉だと感じている今日この頃です。
いくら自分が自分らしくいられる場所でも、他人への配慮を怠ってしまい、友人を失いました。
仲直りしたいと思ってはいますが、相手が望んでいないとしたらそれは叶いません。
数年かけて築き上げてきたものが少しのズレ、その場の感情での勢いでいとも簡単に崩れ去るのです。
わたしは傲慢なのでわたしを受け入れてくれる存在は誰一人として取りこぼしたくない。苦しんでいる人間を見ると救いたくなってしまいます。
自分以外他人なはずなのにお人好しだと言われたことがあるくらい他人を救おうとしてしまいます。
わたしは小さい頃「自分がされて嫌なことを人にしてはいけない」と教えられてきました。
だから自分がされて嫌なことは基本的に人にしないし、されて嬉しいことを積極的にするようにしています。
人に「あなたは優しい」と最近言われたのですが、結局それだけです。
わたしが他人に対して嫌なことをするときは大抵わざとでしょう。
それかわたしの感覚では嫌なことではない場合です。
嫌なことではないことをして嫌だったと言われるととてもショックです。
頻繁にありますしわたしの感覚は常人のそれとは違うのだと痛感してしまうので。
わたしは自分のことを受け入れることも、許すことも、認めることも、殺すこともできない人間です。
だからこそどんな人のことも受け入れ、許し、認めます。殺すことはしません。
ただ、それだけなんです。本当の優しさなんてものは持ち合わせていません。

わたしはわたしを殺したがっています。
死にたい、と願ってから漠然としたその思いと、死ぬべき理由を積み重ねて生きてきました。
社会に必要のない人間ランキングがあればかなり上位に食い込む人間だと思っています。
社会に必要のない人間とは具体的に何かと言うと
「お金という価値を産み出していない、生産性のない人間。」
です。自分含めそういう人間は淘汰されるべきだという価値観を持ち合わせています。
最近になって、自分の在り方を認めてくれる存在がいるから、自分も生きていていいんだと思えるようになりました。
だからわたしは今、生きていていいんだよ、と人に言葉をかけるようにしています。

そして人からのアドバイスを受けるときも、人にアドバイスをするときも共通して思うことがあります。
「自分の人生なんだから選択するのは自分自身。自分の本当の心の声に耳を傾けろ。」
というものです。わたしにアドバイスを授けてきた人間はそれに従わなければ否定してくるような人間でした。
わたしがしたいことというのは一般常識からすると突拍子もないことで、周りの人間に現実主義者が多いこともあり否定されてきました。
それが怖くて、苦しくて、嫌で、現実的な選択肢をとってきましたが成功した例はありません。
だからこそわたしは人から相談を受けアドバイスする際にも「わたしを含め色んな人の色んな視点からのアドバイスを聞いた上で、自分がどう思ったかちゃんと心の声を聞くんだよ。」と最後に一言添えるようになりました。

わたしは自分というものが確立できずに悩んでいましたが、自分が嫌だとかネガティブな感情を抱くものを徹底的に排除していった結果。自分というものが確立されました。
その代わりスポンジのように人の考えを吸収できる柔軟さを失ってしまっているので、そこが課題ですね。

それが顕著に表れているのが「目には目を、歯には歯を。」の精神で最近は生きているなと自分を客観視したときに感じることです。
否定的な人には徹底して否定的な言葉を返しますし、肯定的な人には肯定的な言葉を返します。
これは批判的な人を遠ざけるわけでも、周りの人間をYesマンで固めることとは少し違っていて
「お互い違う価値観や考え方を持っているけれど、それはそれでいいよね。」
と互いに許容し合った上で互いに批評し合える人と一緒にいたいと思います。

もっと複雑で細部に渡ると繊細な考え方や感覚が掘り出せば掘り出すほど出てくると思いますが今日はここまで。

次回は自分のセクシャルとコンプレックスについて書き記したいと思います。

それでは。