齊藤依の自分以外他人理論

言の葉を置く場所

昨今の世の中を見て感じていること

こんばんは、今日も眠れていません。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
わたしは社会から見て生産的かと言われれば甚だ疑問ですが、自分自身は良い時間だったなと思う時間を過ごしたり、人付き合いのことで悩んでいたりと、思い思いの時間を過ごしています。

タイトルにもあります通り「昨今の世の中を見て感じていること」が上手く言葉にできそうなので書き記そうと思います。

わたしは歳を食った人間が
「嫌な世の中になった」
なんて吐き捨てることは老害だと思っていました。
だけど24歳になった今、自分自身もそう感じているのです。
わたしが中高生だった頃、少なくともわたしの周りはヤンチャなことをすることがかっこよかったし、厨二病という言葉ができたばかりで、Youtubeが定着する前にそれより盛り上がっていたニコニコ動画では厨ニ心を擽るような楽曲や配信で溢れていました。
今の中高生を24歳の視点から見ていると冷めているなという印象を受けるのです。
未成年飲酒や喫煙、バイクや車の違法改造に暴走。その他ヤンチャな行為や遊び。
もちろん法律で禁止されていることなのですることもそれをネットにアップロードすることも褒められたものではありません。
ただあまりにも簡単にそれをネットに晒し、鍵垢同士で陰口を共有。
更にはそのスクショを撮って本人へ、なんなら知名度がない有名人でなくても炎上しています。
そんな違法行為じゃないにしろ、コロナのこともあり老若男女が人間が作り出したルールやモラルに違反する行為に敏感すぎる気がするのです。
なんだろう、息苦しい。そう感じてしまっています。

そんな時にうんこちゃんこと加藤純一という10年以上ニコ生からYoutubeに移行して活動している大手配信者の10年前の切り抜きと最新の切り抜きを見ました。
数本動画を見たのですが、彼は10年以上一貫して同じトーンで不謹慎なことも理不尽なキレ芸も99%ネタで話しています。
それが通じていない視聴者が増えてきていると感じている話をされている切り抜きを見たときに、わたしが感じていることはこれだと、そして重ねて言っていたYoutuberもネタを言わないと、なるほど、そういうことかと思いました。
動画や配信をする側も視聴する側も綺麗でいようとしすきなんです。
プライベートではない誰でも見れるSNSのアカウントで誰もネタを言わない。言いたいことも言わない。
そういう風潮が出来上がってしまっているのではないかと思いました。
Youtuberと芸能人の垣根もわからなくなってきていますし、みんな偶像を求めすぎなんです。
だからその偶像のキャラらしからぬ人間臭さが出てしまった瞬間炎上する。視聴者同士で揉めだす。
自分自身も綺麗でありたいから捨て垢で誹謗中傷をする。

adoさんの「うっせぇわ」という楽曲が流行っていますよね。
adoさんの豊富な発声や巧みな歌唱技術で今の中高生が社会に対して「うっせぇわ」と思ってることを見事に代弁していますし、1984年リリースのチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」という当時の若者が社会に対して思うことを代弁していた楽器と歌詞がシンクロしていたりと良い楽曲なんです。
ただ本物の厨二病の子たちがコメントを残した。すると一斉にそれを模倣するようなネタがネットの海は溢れかえりました。
わたしが中高生だった当時も似たような現象はありました。しかしながら本物のコメントに対して圧倒的にネタの数が多すぎる。
これを見ている皆さんはどうかわかりませんが、厨二病のような勘違いした痛い思考に至るのは少なからず誰しもが通ると思うんです。
それを小馬鹿にする人が多過ぎるし、そのネタを見て不快に思って本気になって怒る人も多すぎるんです。
それで炎上みたいな騒ぎになったら楽曲置いてけぼりじゃないですか。素晴らしい楽曲なのに。
わたしは厨二病のコメント云々というよりはadoさんの圧倒的な歌唱を模倣した歌ってみたに対して共感性周知を多少感じてしまいますが、わたし自身口ずさんでいて気持ち良い曲だし仕方ないかって思います。adoさんの歌い方かっこいいですし。
でもどちらにせよ、仕方ないかって思える人が少なすぎると感じるんです。

1998年に反町隆史さんが「POISON
〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜」という楽曲でタイトル通りのことを歌ってらしたんですが、10年前は荒れ果てていたネットの海も人間が作ったルールやモラルで整備され、まさに言いたいことも言えないこんな世の中になってしまったんだなと。

LGBTという言葉が広まったり、ファッションの多種多様性が認められていって素敵だなと思う反面、息苦しい世の中でもあるなと感じているお話でした。

それでは。