齊藤依の自分以外他人理論

言の葉を置く場所

齊藤依、という人間

はじめましての方ははじめまして。
そうでない方も見て下さりありがとうございます。
齊藤依(さいとうより)と申す者です。
わたしがブログをはじめるに至ったお話やわたし自身の人間性について書き記そうと思います。

関西生まれ関西育ちの戸籍上は男の来月で24歳になる人間です。
社会からドロップアウトし自分の生き辛さ、息苦しさを代弁し支えてくれたアーティストのようになりたいという思いから、昔から好きだった音楽を活動としてするようになりました。
ブログをはじめたきっかけは
・音楽がわたしの表現の最適解ではない気がしている
・小さい頃から文章、言葉、文字が好きだった
という話を人に話したときにブログを勧められたからです。

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Twitterツイキャスでは音楽を、YoutubeではVLOG風なものやゲーム配信をしております。

わたしという人間がどういった経緯で形成されていったかをお話します。
小さい頃のわたしは仮面ライダーよりプリキュア派で、お母さんにペディキュアを塗ってもらって喜んでいるような男の子でした。
他にはしゅごキャラ!とカードキャプターさくらをよく見ていて「男のくせになんでそんなん見てんねん!」と同級生の男の子に言われたとき女の子の同級生が「そんなの人の自由でしょ!」とわたしが言う前に言い返してくれたことを覚えています。
その頃からかっこいいより可愛いが好きで、はじめて憧れた有名人は当時の「おはスタ」に出演されていた前田希美さんという方でした。今もとても大好きな人です。
お洋服なども自分の感性で思う可愛いものを選び、初孫で大人に囲まれて育ったこともあり可愛がられるのが大好きでした。
中小零細企業ではあるものの、わたしは生まれた時からおじいちゃんの会社の三代目として期待の目を向けられていました。
可愛がられるのが好きだったのが仇となり、いつからかみんなが求める自分でならなければならないと思っていました。
しかし小学校高学年の時に両親が離婚。わたしはとても仲良しな家族だと信じ込んでいましたが、そうではない確固たる証拠を見せられ、小学生が知らないでいいようなことを両親に吹き込まれ、家族というものの形、家族への愛着というものがわからなくなり、人生ではじめて死にたいと思いました。
それからというもの、この死にたいという気持ちが消えたことは現在までありません。
心機一転やり直すつもりだった中学で不登校になり、人と会うのが怖くて怖くて引きこもるようになります。
社会から弾き出されたその頃、先天的に脳の一部が人とは違う、という診断を受けます。
正直、ショックでした。父親にそれを話すと「お前が、俺の息子が、そんなわけがない。甘えるな。」と一蹴されました。
わたしにとって両親が離婚して母親を選んだあとも父親は絶対的に正義な存在だったので、父親の言う「普通」に固執していくことになります。
その頃から父親と会ったり電話をするたびに口うるさく「普通」に生きていくことを説かれていたのをよく覚えています。
就職のしの字もしらない中学生のわたしは「大学を出て新卒で会社に入ってそこで最低でも3年は働くんやぞ。」という言葉は理解できず苦しかったですが、なんとかわたしを軌道修正しようとする周りの声に応えたいという意思がありました。
それから高校は通信に通い、今思えば平穏な日々を過ごしました。
進路を決める際、ブログをはじめたきっかけでもある「言葉」について学びたいと思い大学への進学を希望しますが、その時の担当医に「君の特性上向いていない」と言われ、好きなジャンルの専門に進学するも中退。
その後は目についた仕事全てに食らいついて倒れるまで仕事をしては、休職、退職を繰り返しました。
転機が訪れたのは2020年、全人類が憎んでいるウィルスによる自粛期間です。
2019年の夏頃に倒れ救急車で運ばれてから12月末まで酷い目眩でわたしは一人で立つことすらまならないま生活を送っていました。
様々な病院で精密検査を受けますが結局原因はわからないまま、自主退職を促され退職。
やっと一人で起き上がってご飯を食べられるようになった頃、自粛期間が始まりました。
しかしこれはわたしにとって少しばかり好都合でした。
23年間、人前では150%の自分で居続けた。心が、体が、休まる時間なんてなかった。人の顔色を窺い、一般常識を身に着けた。自分の感覚とは違っても一般的な模範解答をできるだけ叩き出し、それでも当たり前のことを当たり前にできないことを責め立てられた。そんな自分を自分で責め立て、自分が死ぬべき理由を積み上げていた。
そんなわたしを見て「なんだ全然普通じゃん!」なんて言われることにもう、うんざりしていたからです。
周りからの期待、自分が自分に課していた期待。それを背負うことに疲れ果てていたからです。
そしてわたしは中学生の頃から続けていたギターを片手にスマホと向き合う日々を始めました。

ここまでがわたしの人生のプロローグでしょうか。

2020年は本当にわたしにとって変化の年でした。
ZOCというアイドルの香椎かてぃさんという方に憧れ、スタイルブックやYoutubeに載せられている動画を参考に生まれてはじめて自分で自分にメイクを施したんです。
とても上手とは言えないメイクの仕上がりだったけれど、自己肯定感なんてものがないわたしがその顔を見て「あれ?なんだか可愛いじゃん!」ときゅんとしたときめきを感じました。
その時、23年間見て見ぬ振りを続けていた「わたし」を見つけ、女の子への憧れが爆発しました。
そしてスマホと向き合う中でたくさんの人と出会い、わたしが今まで押し殺してきた自分自身の在り方や考え方を許容してくれる人たちと出会いました。
新たな自分、新たな人、押し殺してきた自分自身の解放。
人生で一番自分らしく生きられていると、今も思います。

次のブログはこれまで周りの人間に許容されなかった考え方について書き記そうと思います。

それでは。