齊藤依の自分以外他人理論

言の葉を置く場所

23年目にして性自認が男性から女性になった話

はじめましての方もそうでない方も、齊藤依です。
私は体は男性で心も女性、そして女性で在りたいと思っている人間です。23年間生きてきた末に何故性自認が男性から女性に変わったのか。というより何故私が男性として生きていたのか。私として生き始めて2年目に突入して明確にわかった気がしたので書き記したいと思います。

私は幼少期から人に喜んでもらうことが好きでした。それがいつからか自分の中で「他人からの評価=自分の評価」になると思ってもみません。ですが私には独特の感性や感覚があるようでした。突拍子もないことを言ってしまった時の凍ったような色合いの空気と視線が怖かった。だからみんなが暖かい空気になってくれる話をするようにしていました。可愛がられってもらえる、かっこいい男の子として。
その後小学校の頃に親が離婚をし死にたいという気持ちが芽生え中学で不登校になり高校は通信制に通い専門学校に行くも中退。社会人になってからは目についた職業全てにチャレンジするも長くは続かずリタイア。
幼少期の根底の話や学生時代の話も以前記事にしているのでさらっと表面的な事実を書きました。
私は自分で言うのもおかしいんですが期待を背負って産まれた男の子だったんです。跡継ぎとして。勝手に背負っていたのかもしれません。親が離婚した時、不登校になった時、普通の高校に行けなかった時、専用を中退した時、会社を辞める度、私はいつ見捨てられるのかということに怯えていました。母親や祖父母を経済的に支えられるようにならなきゃいけない。父親にもいつの日か認められ跡継ぎにしてやってもいいだろう。という評価をされなければならない。方法や日にちを考えて未遂に終わりましたが実行してしまうほどに自殺志願者だったのに私は他人に評価されたかったんです。でなければ価値がないと思っていたから。

そして一旦、恋愛や性的な話に移ります。これから話す内容は性交渉の話も出てきますので苦手な方はすみません。それでも読んでいただきたい話です。

私は男性として女性と恋愛をしてきました。それに伴う性的交渉も。幼少期から私は人に喜んでもらうのが好きだったという話をしました。私にとってその行動は好きな人に喜んでもらうために尽くす性行為でした。だから私は「なんで?」と恋人に何度も聞かれたことがあるのですが自分が絶頂せずとも行為をやめてしまうことがありました。しかし私も性欲がある人間なのでその場の私利私欲が混ざってしまっていたかもしれません。しかし罪の意識に苛まれていました。今も尚です。男性の社会人として仕事仲間や友人と風俗店に行ったこともあります。私には何が楽しいのかわかりませんでした。ですが突拍子もないことを言って凍った視線と空気を感じることが嫌でしたので思ってもいないことを発言しながらノリノリでついて行きました。お金を払って人を買うような真似をして性行為をする。悪いとは言いませんが私にとっては最低な行為でした。だから性行為をするだけの友達やそのためにお金を払う男性というものが苦手です。恋愛対象として見れません。

つまり私が23年間、もしくは自分が死にたいと思い、こんな自分は生きていく価値がないと思い続けた10年以上もの時間してきたこと。

それは自分が男性で在り続けるという最大の自傷行為でした。

この話を聞いて本当か?と思う人も多いでしょう。男性としての私しか知らないはむしろ信じない。何故ならそこには男性として生きてきた事実しかなく私の中にあった真実がないからです。私自身も自分自身を騙し傷つけることで自分を殺し気づかずに生きてきたからです。

自分らしさを認め受け入れ許した時に本当の自分に出会えて私は今幸せです。
自己肯定感という言葉が苦手だという話を最近しました。どうにも「自分を褒めろ」というプレッシャーを感じる言葉だと感じるので。しかし過去の自分が今の自分に「自分のことが好きか?」と聞くと「その時の自分よりは好きかも」と答えるでしょう。

ちなみに余談ですが「じゃあ女性だけが好きなのか?」と聞かれると以前は良くわからないけど今までがそうだったから「はい」でした。今は違って「好きになった人が女性だった」という感覚です。男性への恋愛的や性的な苦手意識はまだまだありますが、これからもっと私は私に素直になって男性であろうと女性であろうとそうではない人であろうと、好きだと思った人を好きになると思います。

この記事をここまで読んでくださった人、私の友人にも、思い悩み苦しんでいる人がいると思います。だから私は過去の自分をさらけ出しどうして死にたくなくなったかを発信したいんです。
綺麗事のような月並みな言葉にはなりますが、好きな人嫌いな人知ってる人知らない人善人悪人関係なく、私には死んでほしい人間などいません。
少しでも誰かが自分を見つめ直して前を向けるきっかけになればなという思いと、私が過去の話をさらけ出すことで罪の意識を贖罪になればと思い書き記しました。

以上です。