「現状に満足するな。」という言葉の語弊
お久しぶりです。あけましておめでとうございます。
これをご覧の皆さんはお元気ですか?こちらは元気でもないですが生きております。
最近思うことがあるので書き記しておきます。
「現状に満足するな」という言葉を耳にしたことはありませんか?私は幾度も聞いてきたのですがイマイチピンときていませんでした。しかし最近この言葉の意味を理解できた気がします。
私はオリジナル曲を世に出したことはありませんが音楽をしている人間でしてお蔵入りになったオリジナル曲でいえばたくさんあります。そしてそれの根源となっていたエネルギーはネガティブな感情・負のエネルギーだったと思うようになりました。
夏目漱石や太宰府、岡本太郎にピカソ、宮崎駿も庵野秀明も、そして私の大好きだった故ぼくのりりっくのぼうよみ。
あらゆる創作物はネガティブな感情・負のエネルギーから産み出されているものだと私は思っています。
もっと言うのであれば宗教や思想の成り立ちに至っても闇があるから光が生まれたのだと思います。
私は今世間からすれば苦労を強いられている状況でもしかしたら見る人によっては不幸かもしれません。しかし私が私らしく生きられていて、自分や周りの人のことを受け入れられるようになりました。すると小さな幸せを見つけられるようになって、とても幸せに生きているんです。
だからこそ、幸せだからこそ、私は今創作意欲が全くと言っていいほどありません。歌を歌うことは大好きだし言葉のことも大好きです。それは変わらないのですが歌詞にしたりして世に遺したい言葉は浮かんできません。過去を振り返って言葉を書き綴っても薄っぺらいものになってしまいます。
これが「現状に満足するな。」という言葉の真意だと思います。恋人や友人、家族と過ごせてハッピー!というような一時的な幸せという感情は素晴らしいものですが、安寧に辿り着いてしまうとそれ以上の何かを欲することがなくなってしまうのです。
周りの人や自分、社会への不満。あれもしたいこれもしたいという欲求。もっとこうするべきだ、ああするべきだという傲慢。
それが私達人間が何かを創作する、もしくは行動する際のモチベーションになる。
「人は幸せになってはいけない、不幸であれ。」
なんてことは言いませんが私はこう結論付けました。
永遠なんてものはこの世に存在しないはずなので、私が今心地良く収まっている安寧のポジションもいつか終わりがくるでしょう。その時私がどうするかなんて今の私にもわからないので興味のあること楽しめることを探求して牙を研いでおこうと思います。
「現状に満足するな。」を肯定したかのような内容になりましたがそういわけではありません。
別に現状に満足したっていいじゃない。また抗えぬ何かで動き出す時がくるんですもの。
以上にしたいと思います。それでは皆さんお元気で。