齊藤依の自分以外他人理論

言の葉を置く場所

太陽の光が暖かく感じられた日

こんにちは、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

セクシャルについて書き記す前にもっと書き記しておかなければと思うことがありました。

わたしはこの記事以前の2つを読んでもらえればわかる通り卑屈で醜い人間です。
「太陽なんか 沈んで二度と帰ってくんな」
※人間辞職 / ぼくのりりっくのぼうよ より
と自分の思いを乗せて歌い叫んでいました。
それほどに太陽の光は尖っていて痛いと感じるほどのものでした。ほんの1時間前までは。
根本的に何かが簡単に変わるわけではないとわかっています。
しかしながらわたしはいつぶりかわからないほど久しぶりに、太陽の光を優しく暖かいものだと感じることができました。

わたしは自分自身を、苦しみを、誰かに受け止めてもらいたいと思いつつ、自分自身を、苦しみを、誰かがわかってたまるものかと思っていました。
自分以外他人理論とは、言い換えると自分以外の全てを敵とみなす理論です。
自分と近しいものを感じる人に自分がしてほしいことをして、自分が害とみなしたものは徹底的に叩く。
まさにわたし自身も書いていたように「目に目を、歯には歯を」でした。

そんなわたしはその方には失礼極まりないですがとても近しいものを感じている人間がいて、その人と会う機会があったんです。
他愛もない会話、楽しむ時間を過ごしたのちに、いつのまにかわたしはわたしが人に見せたくない。冷たいわたしの悩みを話していました。
その人はそれを否定も肯定もせず聞いてくれました。わからないことはわからないとも言いました。そしてその人から見たわたしの印象や、100%理解し合えるわけがない前提で、わたしとその人の経験を照らし合わせてお話をしてくれました。
わたしから見てその人は、とても苦しくて、わたしなんかに善意を向けている場合じゃないはずなのに、です。
わたしはとても疑問に思ってその質問を投げかけました。返ってきた答えに、わたしはハッとしました。
「わたしも頑張れるようになったからあなたにも頑張れるようになってほしい。誰かといることで誰かのために頑張るのだと思っていたけど、頑張っているからこそ誰かといることで頑張れる。そうじゃないと自分も一緒にいてくれる人も楽しくないと思うようになった。」
真っ直ぐな目で至極当たり前のことをその人に言われたときにずっと暗くて見通しの悪い視界が明るくなりました。
わたしはずっと
「頑張れなんて言うなよ クソが 死にものぐるいで生きてんだ」
※風のささやき / あいみょん より
と周りに喚き散らして生きていました。
苦しいんだ。自分だってどうしていいかわからない。救えるのか?救えないならもう放っておいてくれ。わたしは変われないんだ。
と自分勝手な自分さえも正当化して生きていたのです。
その人はその気持ちに近しいものを持っていたのに、しっかり前を向いていました。まだまだダメだと言っていたけれど、わたしに上記のような言葉を言えることがすごいと思いました。
根本的にはその人だって変われていないかもしれない。また立ち止まってうずくまって喚き散らすかもしれない。
でも前を向いて立ち向かおうとする姿がはっきりと見えた気がして、わたしは諦めて立ち止まって自分が作り出した糸に絡まってもがいているんだと、実感しました。
わたしも前を向いて、もう一度歩き出そう、そう思えました。
思っただけかもしれません。書き記しただけになるかもしれません。
でもこんなに透き通った感情も、太陽の光が暖かく優しく包まれる感覚も、胸や肩、足取りまでもが軽く感じたのは本当に久しぶりでした。

セクシャルに関して悩みを抱えていることも同時に書きたいところですが、ポジティブな話はポジティブなまま終わらせたいと思います。

本人にも伝えましたが、改めて、ありがとう。