齊藤依の自分以外他人理論

言の葉を置く場所

幸せ、愛、平和、生きる意味、夢

お久しぶりです。ブログ書こうかなって思って書いてませんでした。
これを読んでいるそこのあなたはいかがお過ごしですか?

私は私としての初めての恋人ができ、そして別れ、移ろいゆく季節も感じれぬまま、今年も5月半ばまできてしまいましたが「死にたい」気持ちから解放されたと同時に「憎しみ」や「怒り」からも解放され更には「自分も社会も全員不幸になってしまえ。」という呪いからも解放され穏やかな精神で生きています。
私は他人に求められる自分でいることでしか存在意義を感じられない生き物でしたが、自分の感覚で選んだ道を進むということを初めてから幸せです。
私の中でずっと飼っていた「お金という結果を産み出せない。生産性のない人間はゴミだ。」という価値観からも解放されてからずっとずっと生きやすくなりました。
世界は何も変わってないし私自身の芯の部分は変わってないけれど、夕陽に照らされる水溜りが輝いて見える位置に移動する。そんな感覚で世界を見れるようになれました。
それでも一年中体調が優れないのは相変わらずですし抱いてきた劣等感があまりにも深く唐突な不安や焦燥感に襲われてネガティブになる時間も多々あります。
体調が優れないのも、私が感じてる不安や焦燥感もきっと他人が想像を絶するものだと思います。
逆にお金が前よりない生活でも楽しく幸せに過ごしてることも他人が想像しているより良いものです。
元々自分から仕掛けるような争い事は好まないし、例えば目の前で転んだ人を助けて気恥ずかしそうに感謝を伝えて足早に去っていく、そんな光景を見れるだけで幸せを感じられる。そんなの自分を否定し続けてきたけれど愛と平和を持ってして曇りなき慈愛の心で人に接する私こそが私自身なんだなと感じる今日この頃です。
最近の私は「水」のようです。黒く淀んだ感情もなく透き通った気持ちで世界を見ています。考えようとして考えたり行動しようとして行動したり言おうと思って言うのではなく、山から水が湧き出て川になり海に流れていくように、自然体で生きています。

画面の向こう側にいるあなたは生きる意味って何だと思いますか?
私は「幸せ」のためだと断言します。自分自身のため、家族のため、恋人のため、友人のため、会社のため、対象が何であろうと絶対にそうです。
私は学生時代にアルバイトを始めた動機は「遊ぶお金がほしい。」「あの服がほしい。」など自分自身がポジティブな体験をするためでした。
その手段が人生という限られた時間を売ってお金に変換することでした。
それがいつのまにか他人に求められる自分でいることだけが存在意義だったために求められることをやり自分で自分に課し「なんでそんなことができないんだ。」と叱責されても「自分が悪いんだ。このままじゃ捨てられる。」と自分で自分を叱咤激励して鼓舞しては死に物狂いで生きるようになっていました。
勘の良い人ならお気づきでしょう。ポジティブな体験をするための行為がいつしか目的になっていたのです。
あまりにもそういった人が世の中には溢れすぎている。家族のため、恋人のため、友人のため、会社のため、それぞれの幸せのために頑張ることは何も悪いことじゃありません。
ただ、自分自身の人生は自分が主人公なんだからもっと自分の心の声に耳を傾けてもいいんじゃないかって思うんです。
もっと自分勝手にもっと独り善がりにもっと自分自身のために生きていいんじゃないでしょうか。
自分の存在意義は自分で決めるべきだと思います。なりたい自分に真っ直ぐでいいんです。
他人は口も挟むし期待もしてくる責めてくる、でも案外自分のことなんて気にしてないんです。
自分自身のために生きろと強要はしません。家族のため、恋人のため、友人のため、会社のため、それぞれの幸せのために生きることが自分自身の幸せのためであることもあると思います。

夢のことも書き記しておこうかなと思います。
私は物心がついた頃から言葉が好きでした。書かれている文字、聞こえてくる声、その人がどんな気持ちでどんな顔をしてどんな映像を頭の中で流しながら言葉を羅列しているんだろう。そんな知的好奇心に今でも満ち溢れています。
音楽が私の中では大きな影響を及ぼしたものの一つで、歌詞を読み解くことでも、音として捉えてぼんやり聴くことでも、その人の世界を覗き見できるような感覚になるんです。
自分の世界とその人の世界を重ね合わせて喜怒哀楽の感情が揺さぶられたり勇気づけられたり、素晴らしいなって思います。
だから私は世界中のたった一人でもいい。私の世界を覗き見して心揺さぶられてほしい。私が見て聞いて嗅いで肌で感じてきた世界を昇華させたい。そんな思いで音楽をしています。
「音楽で食べていきたいの?」と聞かれ即座に否定したときに思いました。私の目的はそこなんだと。
もちろん評価されてお金になれば嬉しいことに変わりはないんだろうけど、そこが目的じゃないんだなと。
でも世に出ているアーティスト、私が素敵だなと思っているのに評価されないアーティストを見ていると、私がいくら頑張ってもそこには到達できないなと、部屋の中で一人思うんです。音楽が私にとって最適解な表現方法じゃないのかなって感じていたりだとかします。
私はギターしか弾けないのですが母親の影響でキーボードを持っておりまして、気分転換に弾いていたんです。弾けるわけじゃないのに、なんとなく。
タバコでも吸うかとYoutubeを開いたときに「ラ・カンパネラ」を52歳のピアノとは無縁で楽譜も読めない漁師の男性がテレビで見かけたフジコ・ヘミングさんに憧れて7年間独学で練習し続けた結果弾けるようになってご本人の前で演奏するという動画が出てきました。
呪いから解放された私でもまだ涙はすっと流れ落ちないしヤラセか?なんて一瞬脳裏に過るような人間なんだとほんの少し悲しい気持ちにもなりましたが、そんなものは吹き飛ぶほど感動し、まだまだやろうって気力と勇気をもらえました。
世代で言うと今年で25歳になる人間ですが、社会からドロップアウトして社会での物差しでは完全に負け組です。
でももしかしたら、もしかしたら、私も何かの形で、私の世界や伝えたい思いを人々に遺せる日がくるんじゃないかって、希望が持てました。
それが私の夢です。

長々とお付き合いありがとうございました。それでは。