齊藤依の自分以外他人理論

言の葉を置く場所

鬱という病について

おはようございます。こんにちは。こんばんは。

間隔が短い更新となりました。今日も寒いです。

 

Twitterを見ていると「心の弱さとは、強さとは」という観点から鬱病について書いてあるツイートを見かけました。

それを見た時に私は精神疾患の当事者そうでない方含め、鬱病ならびに精神疾患について正しい評価や認知がされていないなと感じました。

 

皆さんは精神疾患、あるいは自律神経失調症をご存知でしょうか?

メンタルヘルス略してメンヘラという言葉が定着したり、ADHDアスペルガーという言葉も幅広く知られるようになりました。

精神科・心療内科メンタルクリニックで診てもらう病気だから心の病とされています。

私は近代医学においてこの認識は間違っているのではないかと思っています。

 

人間は物事に因果関係を求めがちなものです。例えば心の病と聞くと「辛いことや悲しいことが起因して鬱病になってしまったのか。」と考えるのが普通でしょう。

しかしそれは精神疾患でない人にでも起こりうる現象であり、精神疾患の患者さんに向けてそうでない方が「自分もそういう経験あるよ。大丈夫。」と慰めの言葉をかけるも、実際その人が抱えている病気は全く別物であり、逆に傷つき傷つけてしまうケースも少なくありません。

 

それでは精神疾患精神障害とは一体なんなのか。私が思う答えは脳の病気です。実際脳神経医学の研究で神経細胞から出る物質やホルモンのバランスが崩れているという学術記事が多く出ています。

 

動物に個体差があるように我々人間にも個体差があります。その結果身体的もしくは精神的ストレスに強くなくそれが起因となって脳に異常が発生してしまう人もいる。同じ度合いの身体的もしくは精神的ストレスがかかっても問題ない人もいる。

 

私も精神疾患を持っておりそんな自分を受け入れることがつい最近までできませんでした。自分を向き合い続け自分を知り勉強をしてやっと受け入れることができました。

私の場合、どれだけ喜ばしい予定だとしても予定があること自体にストレスを感じてしまいますし、どれだけ逆算をしようが時間を守ることがとんでもなく難しいです。

この文章を読んで理解できない人も多いと思うので私のことはいいのですが、それを許してくれる友人や家族を大切にしてみようだとか、当たり前のことが当たり前にできない代わりにこうして文章を書くことは人より得意かもしれないだとか、そういう風に自分と他人を受け入れながら生きていってほしいです。

 

少し心を軽くするための堅苦しい文章として短く書くつもりだったのに長くなってしまいました。

 

とりあえず、私のことが好きな人も嫌いな人もそうでない人も知らない人も、いつか幸せだって言えるように生きていてほしい。それだけです。

 

それでは、お元気で。