齊藤依の自分以外他人理論

言の葉を置く場所

「トランスジェンダーと女装してるだけの性犯罪者は区別しないきゃね。」

「この人は綺麗だから女性らしく生きることが認められてるけど(中略)トランスジェンダーと女装してるだけの性犯罪者は区別しないきゃね。」
タイトルにもしましたがこれはジェンダーレスについて告白した方へのコメント欄で見かけた言葉です。
「女装って性自認が女じゃなくてただの性癖でしょ(笑)勘違いすんな、男共(笑)」
次にこれはわたしがすごく見た目が綺麗で素敵だなと思ったmtfの方が言っていた言葉です。
大谷翔平みたいに性別で二刀流がしたいってこと?それってただのわがままじゃない?」
そしてこれはXジェンダーを告白したの方へ寄せられたコメントです。
レズビアンなの?じゃあ女友達みんなそういう目で見てるってこと?」
3つ目、これはレズビアンの知り合いがかけられた言葉です。
「女になりたいのに女が好きなの?ただの変態やん。」
最後にこれはわたしが実際にmtfの方に言われた言葉です。

全て人が人に投げかけた言葉です。

わたしは次の誕生日で25歳になります。でも「わたし」として生きはじめてまだ2歳です。男として生きてきた時間のほうが長い。身長も体も大きくて男性っぽい。声も低くて喋り方も今でも男性っぽいままな気がする。「わたしはわたしである。」という意思や考えはあっても「わたしはわたしである。」という自信はありません。
そしてわたしは性自認が女性であり女性になりたいにも関わらず男性の恋愛面や性的な面が苦手です。自分の体も気持ち悪く感じることがあります。だから今のところ男性と恋愛をしたことがありません。友達として一緒に遊ぶ分には何も感じません。好きなアーティストや俳優さんも同様です。逆に女性には平等に憧れます。つまりある意味フィルターがかかった状態で見てしまいます。同時に女性を恋愛的に好きになることがあります。2年の間に1人の女性と女性としてお付き合いしました。

恋愛や友人関係、わたしがわたしであること。そんなことを考えるときに冒頭にあげた言葉たちが頭をよぎります。

わたしってなんなんだろう。女の子になりたいし心は女の子だよって思ってるのって間違ってるのかな。本当はただ女装してるだけの男なのかな。みんなにはそう見えてるのかな。可愛い声出してみたいけど今まで通りみんなと話せなくなったら嫌だな。普段通り低い声で面白おかしく話そう。わたしのことを女の子として認めてくれてるなら恋愛対象として見るべきじゃないよね。性自認が女性なら男の人好きじゃないとおかしいんだよね。

こんな風にたくさんもやもやと考えてしまいます。過去の記事を読んでもらえれば詳しくわかると思いますが、死にたかった自分が死にたくなくなっただけでめちゃくちゃハッピーになんです。だから脳天気に生きていて意外ともやもやは湧いてはふっと消えるのですが、コンプレックスだったり悩みであることは間違いありません。

LGBT当事者から世間への言葉、世間からLGBT当事者への言葉、LGBT差別への反対運動の言葉。どれを取ってもその言葉の意に反するところでわたしみたいなもやもやした気持ちになる人はいます。

言葉は矮小化されるし歪んで意味が伝わります。
「海は青くて広い。」
この言葉で思い浮かぶ情景は人それぞれです。捉え方が人それぞれ違うからこそLGBTだけではなく、家族、友人、恋人、人種、男女…どんな話題でもどんな相手にでも自分の意図していない関係のないはずの人の感情を揺さぶってしまう可能性があるんです。

だからわたしのことを理解できなくてもそういう考えがあってもいいよね!程度に考えて言葉は大切に使い合える優しい世界になってほしいなと思います。